レントラーとアンシュルスってなんだ【サウンド・オブ・ミュージック】

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エルザの提案によってフォン・トラップ家で盛大なパーティーが開かれるシーン。

ここでの会話は英語だけじゃなくて、いろいろな意味で勉強になりますね。

私は以前「英会話の上達に必須! 映画のマイナーな言葉から文化を学ぶ」という記事で、語学を学ぶことは、文化を学ぶことでもある、と書きましたが、この舞踏会シーンのセリフの数々には、オーストリアの文化やこの映画の時代背景がちらほら垣間見えます。




目次

Ländler と curtsy

例えばパーティーの最中、新たに流れてきた音楽に子どもたちが注目する。そのときの会話。

Gretl: What are they playing?
Maria: It’s the Ländler. It’s an Austrian folk dance.
Kurt: Show me.
Maria: Oh, Kurt, I haven’t danced that since I was a little girl.
Kurt: You remember. Please?
Maria: Well. . . .
Kurt: Please.
Maria: All right. Come on over here. Now you bow and I curtsy.

グレーテル「あの曲はなに?」
マリア「レントラーよ。オーストリアの民族舞踊なの」
クルト「やってみせてよ」
マリア「ダメよクルト、子どもの頃に踊ったきりだもの」
クルト「思い出せるって。お願い」
マリア「そうねえ……」
クルト「いいじゃない」
マリア「わかったわ。ここにきて。まずあなたが頭をさげて、わたしは膝を折ってお辞儀をするの」

レントラー(Ländler)はマリアさんがセリフで説明されている通り、オーストリアの伝統舞踊で、ワルツの元にもなった音楽です。

クルトにレントラーの踊り方を教えてほしいと頼まれ、マリアはまず最初の挨拶の方法を「you bow and I curtsy」と言って教えています。

bow = 男性が女性に対し、頭をさげる
curtsy = 女性が男性に対し、スカートをつまんで膝を折る

ここのボキャブラリーで、ヨーロッパの社交ダンスでの男女の挨拶の仕方がわかりますね。
私はこういうのに疎いので勉強になります。

ちなみに curtsy に似た音で courtesy(礼儀)という言葉がありますが、curtsy は courtesy から派生した言葉だそうです。

レントラー聴き比べ

ちなみに私はクラシック音楽も好きでよく聴くのですが、このレントラーという音楽、調べてみたら、私の好きな作曲家もけっこうレントラーを作曲していることに気がつきました。
今まで何も考えずに聴いていた曲にもいくつかレントラーがあったのですね。

ちょっと英語の勉強を中断して、私の好きな作曲家のレントラーを貼っておきますので、『サウンド・オブ・ミュージック』のレントラーと比べてみてはいかがでしょうか。

こちらはモーツァルト

これはベートーヴェン

これはシューベルトのレントラー
ところどころ曲調がガラッと変わってレントラーっぽくなくなる気がしますが、そこはシューベルトの作風なので楽しく付き合いましょう。

最後はマーラーの交響曲第9番 第2楽章
この曲はすごくよく聴いている曲なのですが、第2楽章がレントラーだったのですね。今まで気にしてませんでした。
これもシューベルト同様、曲調が予想もつかない方向に変化します。

シューベルトは自由気まま、マーラーは分裂症的、という感じがしますね。

そしてこれが『サウンド・オブ・ミュージック』のレントラー。

いかがでしょう。

皆様はどのレントラーがお気に入りでしょうか。
私はモーツァルトのレントラーが一番心地よかったです。

Anschluss について

さて、今度はパーティーの後半。
楽しい音楽に包まれたひとときから一転して、不気味なファシズムの影がちらついてきます。

このパーティーでの出席客のひとりツェラーは広間に大きく掲げてあるオーストリアの国旗をみて、以下のセリフを吐きます。

The ostrich buries his head in the sand and sometimes in the flag. Perhaps those who would warn you that the Anschluss is coming – and it is coming, Captain – perhaps they would get further with you by setting their words to music

ダチョウは砂に顔をうずめる習性があるが、ときどき旗の後ろにも隠れたがるようだ。来たるべきドイツ・オーストリア併合をあんたに警告する者……確実に来るからね、大佐……彼らは音楽さえも使って、さらにあんたに警告を発することになろう。

ostrich = ダチョウ

weblio英和辞典によると「ダチョウは砂に顔を突っ込んで隠れたつもりになる」伝説があることから、「現実逃避者」の暗喩になるとのことです。

Anschluss = ドイツ・オーストリア併合

つまりツェラーは、ドイツ・オーストリア併合という彼らにとっての「実現」から目を背けるゲオルグを現実逃避のダチョウだと揶揄しているわけですね。

しかしこの映画だけ見ると、ドイツ・オーストリア併合じたいが悪いことのような錯覚を起こしがちですが、ドイツ語をしゃべる民族を統一してひとつの国家にしようという考えはナチスの前からあり、オーストリアの善良な人たちの間でもそれを望んでいる人がいたんですね。

ドイツ・オーストリア併合に反対なのはあくまでもゲオルグ個人の考えであって、この映画の真の敵は、その併合を他国の侵略とドイツ民族以外の迫害という形で推し進めているナチスなのだという点は、ちゃんと踏まえて見ないと少し背景を見誤ってしまいます。

こんな感じで、映画を通して、英語と一緒にその国の文化や時代背景を学ぶことも有意義ですね。

頭を砂につっこむダチョウ