Many a man と many men の違い【バリー・リンドン】

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スタンリー・キューブリック

本日はスタンリー・キューブリック監督の映画『バリー・リンドン』から、冒頭の文学的なナレーションの英文をとりあげて、英語の勉強をしてみたいと思います。

とくに Many a manmany men の違いについて解説しています。




英語のナレーション部分の引用と和訳

引用するのは主人公バリーのお父さんが馬の売買のトラブルで決闘になり、あえなく命を落とした後の、独り身になったバリーのお母さんについての部分。

映画がはじまって1:30からのところです。

Barry’s mother, after her husband’s death, lived in such a way as to defy slander. Many a man who had been smitten by the charms of the spinster now renewed his offers to the widow. But she refused all proposals of marriage, declaring that she lived only for her son and the memory of her departed saint.

夫の死後、バリーの母は誹謗中傷を気にすることなく暮らした。年増の魅力に惹かれ、多くの男がこの未亡人に言い寄ったが、彼女は息子のためと亡き伴侶の思い出のみに生きるのだと、すべての求婚を断った。

Many a man と Many men の違いとは

ここでまず眼につくのがこの表現。

Many a man = たくさんの男たちが

many men という言い方は普通によく見ますが、many a man という言い方はちょっと見慣れませんね。

many men と many a man は、ほぼ同じ意味で、many a man を many men に言い換えることは可能です。

ただし文法的に many men は複数扱いですが、many a man は単数扱いなので、その点は気をつけないといけません。

例えば上の例でいくと、こんな感じです。

Many a man who had been smitten by the charms of the spinster now renewed his offers to the widow.

Many men who had been smitten by the charms of the spinster now renewed their offers to the widow.

それではこの2つの表現は完全に同じなのかというと、そうでもないんですね。

many men は広く一般的に使える表現ですが、Many a man は文学的で固い表現です。

なので、この『バリー・リンドン』のような文学的な場面だとか、ちょっと固い文語調の言い回しにしか使えません。

だから many a man を many men に言い換えることは可能でも、many men は必ずしも many a man に言い換えられるわけではないんですね。

あと、Many a man の方が、「たくさんの男、そのひとりひとりが」といった具合に、意味合いに個々の存在が強調される印象があります。

これは文学的な表現なので、意味合いもそのひとりひとりにいろんなドラマがあったかのようなニュアンスがたちのぼるんですね。
文学的な表現ですから、印象もややドラマチックになるわけです。

man 以外の many a 〜 を使った他の用例では、同じ『バリー・リンドン』のなかであとふたつありました。

This heart of Lischen’s was like many a neighboring town and had been stormed and occupied several times before Barry came to invest in it.
(リシェンの心は、バリーが来る前にも幾度となく戦火を受け、征服された近隣の町々のようだった)

And many a night, when he was unconscious of her attention, saw him carried off to bed.
(そして、いくつもの夜で、彼は彼女の気配りに気がつかないほど泥酔して、寝室まで運ばれていくのだった)

many a neighboring town(近隣の町々)とか many a night(いくつもの夜)とか、こういう言い方をすると、「たくさん」でざっくりまとめているんじゃなくて、そのひとつひとつにいろんなドラマがあったような重みが醸し出てきますね。

他の映画では、このブログでもよくとりあげているミュージカル映画『サウンド・オブ・ミュージック』の『How do you solve a problem like Maria(マリアのような問題児はどうしたらいいのかしら)』という曲で、こんな歌詞の一部があります。

Many a thing you know You’d like to tell her
Many a thing she ought to understand

彼女に言い聞かせたいことが、たくさんあるわ
彼女にわかってほしいことも、たくさんあるわ

この場合は、修道院の尼さんたちの頭に浮かぶひとつひとつの厄介な事柄がのしかかってくるようです。

その他の注目ボキャブラリー

in such a way as to 〜 = 〜そんな風に

defy = ものともしない、無視する、反抗する

slander = 中傷、悪口

be smitten by 〜 = 〜にぞっこん惚れる
この smitten は smite(打ちのめす、殴る)の受動態です。
能動態 smite では主に「打ちのめす」「殴る」、受動態 be smitten by では主に「ぞっこん惚れる」という風に、能動態と受動態で使われる意味の傾向が概ね決まっている単語ですね。

smite の用例では「聖書」の「詩篇」にこんな有名な一節があります。

The sun shall not smite thee by day, nor the moon by night
昼は太陽があなたを撃つことなく、夜は月があなたを撃つことはない

spinster = 未婚夫人、オールドミス

renew = 更新する、新たにする、繰り返す

proposal = 申し込み、提案

proposal of marriage = 求婚、プロポーズ

departed = 故人

saint = 聖人、天に昇った人

「彼女の亡くなった夫」を her departed saint と言い表すところなど実に文学的ですね。

おわりに

『バリー・リンドン』で英語の勉強・第1回、いかがでしたでしょうか。

映画を英語の勉強に使う場合

「どの映画を教材に選ぶか?」

という局面には常にぶつかるわけですが、その際

「これは勉強になりそうだぞ」

という基準ももちろん大事です。

しかし、それ以上に

「おもしろくて、何度も見たくなる、飽きない」を映画を選ぶ。

これが第一の基準になりますね、どうしても。

やっぱり楽しく勉強したいですし、ぶっちゃけ、どんな映画もじっくり勉強すれば、多少の効率の良し悪しはあっても、まったく勉強にならないなんてことはないわけです。

そんな理由で、私が英語の勉強の素材としてよく選ぶのが、スタンリー・キューブリック先生の映画です。

今回とりあげた『バリー・リンドン』なんて、絵のように美しく整った映像をひたすらじっと眺めているだけで、もういつまでも何度でも見ていられます。

サッカレー

サッカレー(1811〜1863)

英語の話しをすると、この映画は原作がウィリアム・サッカレーの19世紀のイギリス文学で、舞台が18世紀のヨーロッパだけに、セリフはとても文学的で、古い表現も多いです。

キューブリックの映画はナレーションが多いことで有名ですが、『バリー・リンドン』はこのナレーションがまた、やたら文学的なんです。

こういう映画はカジュアルな英会話の参考というより、表現の幅を広げたり、英語をより深く理解するために有意義だと思います。