Frozen Heart(氷の心)の歌詞(和訳あり)で英語の勉強【アナと雪の女王】

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Frozen Heart(氷の心)

ディズニー映画『アナと雪の女王』の冒頭に流れるこの曲。

本日はこの『Frozen Heart(氷の心)』の歌詞をとりあげます。

まずは自分なりの解釈でこの歌詞を訳してみました。

Frozen Heart(氷の心)

Born of cold and winter air
And mountain rain combining,
This icy force both foul and fair
Has a frozen heart worth mining.

ひんやり冬の寒さと
山の雨のあいだに生まれた
この清くて汚い、氷の精は
掘りがいのある凍った心をもっている

So cut through the heart, cold and clear.
Strike for love and strike for fear.
See the beauty, sharp and sheer.
Split the ice apart.
And break the frozen heart.

だから冷たくて透きとおった心臓をひと突き
好きだから打て、怖いから打て
見ろ、美しくて、するどくて、けわしい
氷を切り出し
凍った心をやっつけろ

Hup! Ho!
Watch your step!
Let it go!

はっ! ほっ!
足元に気をつけろ!
無理するな!

Beautiful!
Powerful!
Dangerous!
Cold!

きれいだ!
強いぞ!
あぶないぞ!
冷てえ!

Ice has a magic
Can’t be controlled.
Stronger than one,
Stronger than ten.
Stronger than a hundred men! Ho!

氷の魔力だ
手に負えない
ひとりじゃ敵わん
十人でも敵わん
百人の男でも敵わん! ほっ!

Cut through the heart, cold and clear.
Strike for love and strike for fear.
There’s beauty and there’s danger here.
Split the ice apart!
Beware the frozen heart…

冷たくて透きとおった心臓をひと突き
好きだから打て、怖いから打て
ここには美がある、危機がある
氷を切り出せ!
凍った心に気をつけろ……

よくよくこの歌詞を読むと、映画ぜんたいを通して描かれるモチーフが、ほぼここに揃っているのがわかりますね。

本日はこの歌詞の英語を解説しながら、映画そのもののテーマも分析してみたいと思います。




目次

そもそもfrozen heartとはなんぞや?

タイトルの frozen heart(氷の心)とは、そもそもどういう意味なんでしょうか。

この言葉が日常会話に出てきて人間性を表現する場合は、人を愛することができないとか、人を傷つけるのになんの抵抗もないような冷たい人、を指すことが多いですね。

よく外見上はいい人そうなのに、「俺は氷の心なのさ(I have a frozen heart)」なんて言う人は、だいたい「失恋などによって心に傷を負っていて、人を愛することに臆病になっている人」と相場が決まっています。

しかしこの映画『アナと雪の女王』における frozen heart は、もうちょっと壮大で、深いニュアンスで使われていますね。
私はこの frozen heart という言葉の使い方に、この映画のテーマが隠れているんじゃないかと考えています。

自然は人間の生活などおかまいなしに、災害や気候の変動などによって人の命を奪うことがありますよね。
この歌ではそんな自然を擬人化して、その非情な性質を frozen heart(氷の心)と言い表しているように思えます。

しかし同時に、自然は食べものや土地や生活に必要なものの素材など、人間に大いなる恩恵をもたらしてくれます。

この自然のもつ「二極性」は、この歌の歌詞のなかに様々な言葉で表されていますね。

この「二極性」という概念も、この映画の重要なモチーフのひとつです。

とにかく自然は気まぐれで危険でもあれば、おおらかで恵みをもたらしてくれるものでもある。

つまり自然は常に「あるがまま」なんですね。

この何ごとにも動じず、常にあるがままにそこにあり、人の命を奪ったり、人をよく生かしたりする、そんな自然への視点が、この歌詞の frozen heart(氷の心)について語る人夫さんたちの気持ちに現れている気がするんです。

この「あるがまま」というモチーフは、後に出てくる名曲 let it go(ありのままで)にも繋がります。

この自然を「あるがまま」として捉える視点から、人は「自然はコントロールしようとしてはいけない、うまく共存していくものだ」という思想に至るんですね。

この曲の歌詞でも、人夫さんたちは、自然の力は「Can’t be controlled(コントロールすることができない)」と言っています。

ところが、エルザはずっとこの内なる自然の魔力をコントローフしようとしていたんですね。

エルザはその間違いに気づき、let it go(ありのままで)を歌うシーンでその力をいったん外に開放し、最後に「love(愛)」によってその力とうまく共存することを覚えるんですね。

「愛」も人間の中にある自然な感情のひとつです。
そういえば、「人間性」のことを英語で human nature って言いますもんね。

この映画のラストで、登場人物たちがやっとその結論に至る、そのすべての答えが、実はこの最初の「Frozen Heart(氷の心)」という曲の歌詞に、すでに揃っているんですね。

icy force(氷の力)の訳について

icy force はそのまま訳すと「氷の力」ということになります。

icy = 氷の
force = 力、強さ

上の和訳では文脈上、擬人化して訳したほうが意味がスムーズだと思い、「氷の精」と訳してみました。
日本語にも「精力」など、内なる力のような意味でも精という言葉を使いますし、意訳の範囲内かな、と思います。
超訳してしまっていたらすいません。

この部分は言葉の上では「氷の力」と言っていますが、「自然のパワー」そのものを暗喩していることは容易に想像できると思います。

日本語には訳しにくい foul and fair の概念

foul and fair という言葉、この映画のテーマのひとつである二極性を表現しているフレーズです。

日本語は、この foul and fair のような言葉を訳すのがとても苦手な言語なんですね。

以前、「日本語と英語、優れているのは?」という記事で、英語は抽象的な概念を言い表すのに優れているので、ひとつひとつの言葉の意味に奥行きがあり、日本語は抽象的な概念を言い表すのが苦手な言語なので、ひとつひとつの言葉の意味が乏しく、そのぶん語彙が多い、ということを説明しました。

この foul and fair なんて言葉はその最たるもので、こういう抽象的な表現を日本語に訳そうとすると、その概念の狭い一点に的を絞って訳すしかないんですね。
これは日本語の限界だから、そういうものだと思うしかありません。

foul とは、野球用語の「ファール」と同じです。
野球ではバッターが打ったボールが左か右にいきすぎて、無効になってしまった場合に「ファール」と呼ばれますね。
本来の意味は「悪い」「汚い」「不正な」「不公平な」などです。

fair は、よく日本語でも「フェアじゃない」みたいに和製英語で使われる言葉ですね。
本来の意味は「良い」「きれい」「公正な」「公平な」などです。

なので foul and fair というと、「悪くて良い」と訳してもいいですし、「汚くてきれい」でも「不公平で公平」でもいいんですね。

こんな感じで、日本語に訳した時点で意味はどうしても狭くなってしまいますが、英語を勉強している皆さんは、概念で捉えてほしいと思います。

Strike for love and strike for fear の解釈

strike ってのは「打つ」とか「叩く」とか「殴る」とか、とにかく何かしらの衝撃を与えるガツンを指す言葉ですね。

この歌詞の場合は、人夫さんたちが採掘作業をしている鋤(すき)の一撃一撃を表していると解釈するのがいちばん自然でしょう。

問題はそのあとにそれぞれくっついている for love と for fear の解釈。

love = 愛
fear = 恐怖

「愛のために打て」はいいですけど、「恐怖のために打て」だと日本語としていまいち意味が通らないし、意味の曖昧さと引き換えに詩的になっているとも言い難い。

だからここは「好きだから打て、怖いから打て」と私は訳しました。
こちらの方が意味が通るし、むしろ歌詞っぽくなっていると思います。

この詩ぜんたいを通して感じるのは、この人夫さんたちは大自然への畏怖と愛情の両方をもっている。

自然に食わせてもらっていることへの感謝と、自然の非情な力を知っているがゆえの恐怖。

決してコントロールしようとしてはいけないけれども、よき敵(とも)として、戦って挑み続けていきたい、そんな両極端の想いを感じます。

そんな男たちと自然とのドラマが、作業をしている鋤の一撃一撃に、love と fear という言葉によって表現されている気がするんですね。

ずっと後のシーンで、エルザに会おうとするアナに、クリストフがこう語りかける場面があります。

KRISTOFF : So you’re not at all afraid of her?
ANNA : Why would I be? Yeah. I bet Elsa’s the nicest, gentlest, warmest person ever.

クリストフ「ぜんぜん怖くないのかい?」
アナ「どうしてよ? ぜーんぜん。エルザは誰よりも素敵で、優しくて、あたたかい人なのよ」

けっきょく、このアナのエルザの魔力に対する無頓着さが、自分の命を危険にさらすことになるんですね。
自然を愛でるばかりでぜんぜん怖がらないのも問題だということです。

break the frozen heart の解釈

break「壊す」「折る」という意味です。

また、下のようなフレーズで使われる通り、「お休み」という意味もあります。

take a break = 休みをとる
coffee break = コーヒーブレイク

いわゆる何かの中央に切り込んで、そこに空間を開ける、みたいな概念を表す言葉です。

ここの場合は氷を切り出すことにより、その中核にある氷の心を壊す、「つまり自然の非情さに負けるな」みたいな意味に私は解釈しています。

この曲の最後に出てくる、この映画の波乱の幕開けを予告するフレーズ Beware the frozen heart(氷の心に気をつけろ)と対になっているんですね。

ここにも二極性がみてとれます。

Let it go の解釈

この映画でいちばん有名な曲「Let it go(ありのままで)」のタイトルと同じ言葉がここの歌詞にもう出てくるんですね。

Let it go そ直訳すると、「そのままで行かせろ」「ありのままにさせておけ」です。

この場合は氷の採掘作業ですから「無理するな」と訳しましたが、同時に後のシーンでエルザが至る気づきを暗示していると言えます。

この少し後で

Ice has a magic
Can’t be controlled

氷には魔力がある
御すことはできない

というフレーズがありますが、これなんかまさにエルザのことそのものと言えますね。

氷の心

まとめ – 『アナと雪の女王』と老荘思想との共通点

今日の記事を読んで、『老子』や『荘子』などの中国古典文学を思い出した方も多いんじゃないでしょうか。(実は私の愛読書です)

自然を「あるがまま」として捉える(無為自然)とか、万物に二極性を見出す(陰陽説)とか、この『アナと雪の女王』の根本原理って、老荘思想そのものなんですね。

陰陽説というのは、この宇宙はすべて対になる2つの要素に分けられる、という考え方で、男と女とか、太陽と月とか、熱いと寒いとか、かたいとやわらかいとか、とにかくこの世界は2つの正反対のものが揃っていないとバランスが悪いわけです。

これは映画の登場人物の相関図にも言えることです。

この映画のキャラクターはすべからく対になっていますよね。
アナとエルザとか、クリストフとハンス王子とか、オラフと氷の怪物(さっきwikiを見たら「マシュマロウ」って名前があるんですね)とか。

そう考えると、このなかで大きく二極性のバランスを崩しているアナとハンス王子が接近することで、後半の危機を後押しする結果になるのも頷けます。
(アナがハンス王子と初めて出会ったとき、「僕も同じこと考えてた!」とか「こんな自分と似てる人と初めて会った」とか、この2人だけが極めて一元的です)

『アナと雪の女王』の解釈として、この最初の曲『Frozen Heart』にその後の全ストーリーが暗示されている、という見方もありますけど、私としてはこの映画の骨子を支える根本原理のようなものがあって、それに沿ってこの映画の物語は組み立てられているし、それがこの最初の曲にもすべて盛り込まれている、と考える方がしっくりきます。
(まあ、ほぼ同じことなんですが)

* * *

さて、こんな感じで、『サウンド・オブ・ミュージック』での英語の勉強も一段落しましたので、これから何回かに分けて『アナと雪の女王』で英語の勉強をしていきたいと思います。