映画【イングロリアス・バスターズ】のセリフで学ぶ映画の歴史

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inglourious basterds

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

皆さんはどんな年末年始をおすごしでしょうか。
私は英語のシナリオ執筆とか英語インタビューのテープ起こしと翻訳とか、大小3つくらいの仕事が重なって休む暇もなく仕事三昧です。
このぶんだと私の正月休みは1月末くらいでしょうか。

* * *

さて、本日の記事を読むと、『イングロリアス・バスターズ』がよりおもしろく見れるようになっている、かもしれません。

以前、私は「映画のマイナーな言葉から文化を学ぶ」という記事で、映画のセリフに出てくる固有名詞から、文化的背景などを学ぶことは有意義だ、みたいなことを書きました。

『イングロリアス・バスターズ』のセリフにもたくさんの固有名詞が出てきます。

物語は第二次世界大戦に映画産業がからんで展開していきますので、この映画の固有名詞をよく吟味すると、映画や戦争についてとても勉強になりますね。

そこで、このブログでは「映画の歴史」「ナチスと第二次世界大戦」「その他」といった感じに、ジャンル別に3回ほどに分けて、『イングロリアス・バスターズ』のセリフに出てくる固有名詞を勉強してみたいと思います。

ちなみにセリフは英語の他に、ドイツ語、フランス語、イタリア語などもありますが、ここはあくまでも英語を勉強するブログですので、英語以外のセリフはタランティーノの脚本から英語の文章を引用しています。

各固有名詞の説明は主に wikipedia の情報を参考にさせていただきました。

というわけで、今回は『イングロリアス・バスターズ』のセリフで学ぶ「映画の歴史」を、おおくりいたします。




目次

マックス・ランデー(Max Linder)とチャップリン(Chaplin)

まずはフレデリックが映画館の前で仕事をしているショシャナを見初め、話しかけるシーンから。
映画本編ではフランス語ですので、タランティーノの脚本から英語の文章を引用します。

FREDRICK : What starts tomorrow?
SHOSANNA : A Max Linder festival.
FREDRICK : Ummm, I always preferred Linder to Chaplin. Except Linder never made a film as good as “The Kid.” The chase climax of “The Kid,” superb.

フレデリック「明日、封切りの映画はなに?」
ショシャナ「マックス・ランデー映画祭ですよ」
フレデリック「へえ、僕はチャップリンより断然、ランデーのほうが好きだな。ただランデーは『キッド』より優れた映画をひとつも作らなかったけどね。『キッド』のクライマックスのドタバタ、最高だったなあ」

マックス・ランデー(Max Linder)
フランスの喜劇俳優。
チャップリンより古い、サイレント初期の喜劇王。
監督・主演で1910年代から20年代にかけて、数多くのサイレント喜劇映画を世に送り出した。
(参考資料:wikipedia)

YouTubeにあったマックス・ランデー(Max Linder)のプレイリスト
↑参考までに。

キッド(The Kid)
監督・脚本・主演・音楽:チャーリー・チャップリン(Charlie Chaplin)
1921年公開のチャップリンのサイレント時代の傑作。
映画史上初めて喜劇と悲劇が融合した長編映画とされる。
(参考資料:wikipedia)

リーフェンシュタール(Riefenstahl)とパープスト(Pabst)

引き続きフレデリックとショシャナの会話から。
これも本編ではフランス語ですので、タランティーノの脚本から英語の文章を引用します。

FREDRICK : I love the Riefenstahl mountain films, especially “Pitz Palu.” It’s nice to see a French girl who’s an admirer of Riefenstahl.
SHOSANNA : “Admire” would not be the adjective I would use to describe my feelings toward Fräulein Riefenstahl.
FREDRICK : But you do admire the director Pabst, don’t you? That’s why you included his name on the marquee.
SHOSANNA : I’m French. We respect directors in our country.

フレデリック「リーフェンシュタール山岳映画、好きだな。とくに『死の銀嶺』。フランスの女の子でリーフェンシュタールのファンとは感心だね」
ショシャナ「“ファン”てゆうと、わたしのリーフェンシュタールさんへの気持ちをあらわす言葉としてはちょっと違いますね」
フレデリック「でも、パープスト監督のファンではあるんでしょ? だって看板に彼の名前を入れてるじゃない」
ショシャナ「わたしはフランス人です。自分の国の監督を尊敬しています」

1920年ごろから、「山岳映画」というジャンルがドイツで流行したそうです。
タランティーノの次作『ジャンゴ 繋がれざる者』という映画でも、「これはドイツの伝承物語だからね。必ずいつもどこかに山が出てくるんだよ(It’s a German legend, there’s always going to be a mountain in there somewhere)」というセリフがありますが、ドイツの創作芸術において「山」は重要なモチーフといえるかもしれません。

で、この「山岳映画」の出演で有名になった女優が、上記のセリフにも出てくるレニ・リーフェンシュタール(Leni Riefenstahl)

レニ・リーフェンシュタール(Leni Riefenstahl)
ドイツの女優。山岳映画で有名になり、映画監督に進出。自ら主演・監督を務めた1932年制作の『青の光(Das blaue Licht)』がヴェネツィア国際映画祭で銀賞を受賞。
ナチスに依頼されて撮ったドキュメンタリー映画『意志の勝利(Triumph of the Will)』『オリンピア(Olympia)』など、優れた作品を発表した。
戦後はナチスのプロパガンダに協力したかどで逮捕、精神病院に収容される。
自由の身になった後、しばらく沈黙していたが、100歳をむかえた2002年に新作ドキュメンタリー映画『ワンダー・アンダー・ウォーター 原色の海(Impressionen unter Wasser)』で監督に復帰。
その翌年の2003年に101歳で大往生した。
(参考資料:wikipedia)

リーフェンシュタールの作品は著作権が切れているからか、YouTubeに無料でアップされていますので、ぜひ皆さんも「Riefenstahl」で検索してご覧になってみてください。

また、リーフェンシュタールが女優時代に出演した山岳映画の代表作のひとつが、セリフにもあるゲオルク・ヴィルヘルム・パープスト(George Willhelm Pabst)監督の『死の銀嶺(Pitz Palu)』。
これもYouTubeで無料で観れます。

ずっと後のシーンで、「プレミア作戦(Operation Kino)」に参加するイギリスのアーチー・ヒコックス中尉(Lieutenant Archie Hicox)は戦前、映画評論家をやっていて、このパープスト監督についての著書がある、という設定なんですね。

ヒコックス中尉が自分の著書を説明するセリフでこんなのがありました。

Twenty-Four Frame da Vinci. It’s a subtextual film criticism study of the work of German director G.W. Pabst.
(『24コマのダ・ヴィンチ』。ドイツの映画監督G.W. パープストの作品を分析した研究書です)

※24コマというのは、映画のこと(映画は1秒間24コマ)

架空の著書なので想像することしかできませんが、ヒコックス中尉はパープストを「映画界のレオナルド・ダ・ヴィンチ」だと考えているんでしょうかね。

ドイツ占領下のフランスでは、ドイツ映画を上映しないと映画館を経営できませんでした。
しかしパープスト監督の名前を看板に入れることは強制ではないので、フレデリックはショシャナに「君はパープスト監督のファンなんだろ?」と聞いているんですね。

ショシャナはパープスト監督は好きだけれども、ナチスは嫌いなので、軍服姿のフレデリックの前ではそれを認めたがらない様子。
だからショシャナは「わたしはフランス人です。自分の国の監督を尊敬しています(I’m French. We respect directors in our country)」と言い返すんですね。

同時に本当はユダヤ人であることを隠すため、フランス人であることを強調しなくちゃ、という防衛本能も働いているかもしれません。

ヴァン・ジョンソン(Van Johnson)

パリのカフェで再会したフレデリックとショシャナの会話から。
例によって本編ではフランス語のセリフなので、タランティーノの脚本から英語の文章を引用します。

ここは本編のセリフとちょっと違います。

Joseph is very keen on this film. He’s telling anybody who will listen that when “Nation’s Pride” is released, I’ll be the German Van Johnson.
(ヨーゼフ [ゲッベルス] はこの映画にそうとう入れこんでいてね。みんなに言いふらしてるんだよ。『国家の誇り』が公開されたら、僕はドイツのヴァン・ジョンソンだ、って)

ヴァン・ジョンソン(Van Johnson)
第二次世界大戦中に『ジョーという名の男(A Guy Named Joe)』(1943年)などのMGMの戦争映画で兵士役を演じ、当時のアメリカ青年の象徴となった人。
2002年に92歳で没。
(参考資料:wikipedia)

ヴァン・ジョンソンの代表作『ジョーという名の男』の予告編

ラッキー・キッズ(Lucky Kids)とリリアン・ハーヴェイ(Lilan Harvey)

フレデリックの肝いりで、ナチスのプレミア上映会が、ショシャナが経営する小さな映画館で開催されそうな雲行きになってきます。
そこで主催者であるナチスの宣伝担当大臣ゲッベルスが、ショシャナの映画館で何かひとつ映画を観てみよう、と言い出します。
そこでテスト上映する映画が1936年のドイツ映画『ラッキー・キッズ』なんですね。

映画本編にはありませんが、タランティーノの脚本から、ゲッベルスが『ラッキー・キッズ』についてしゃべっているセリフを引用しましょう。

映画本編にゲッベルスが「今夜はお嬢さんの映画館で何かひとつ映画を見てみよう」と言うセリフがありますよね。
その後カットされた部分に、フレデリックが「『ラッキー・キッズ』はどうですか?」と提案するシーンがあります。
それを受けてのゲッベルスのセリフです。

Ahhh, “Lucky Kids,” When all is said and done, my most purely enjoyable production. Not only that, I wouldn’t be surprised if sixty years from now, it’s “Lucky Kids” that I’m the most remembered for.
(おお、『ラッキー・キッズ』か。なんだかんだ言って、あの制作が純粋にいちばん楽しかったな。それだけじゃない、今から60年たって、私の名が『ラッキー・キッズ』の制作者として歴史に残っていたとしても、不思議じゃないよ)

ラッキー・キッズ(Lucky Kids)
1936年のドイツ映画。リリアン・ハーヴェイ主演。
ナチスが経営権を握っていたウーファ映画社(UFA)制作。
(参考資料:wikipedia)

それにしてもゲッベルスが現在どういう人物として歴史に名を残しているかを鑑みると、ゲッベルスにこういうセリフを言わせるとは、タランティーノのすごい皮肉が込められていますね。

さて、ショシャナの映画館で『ラッキー・キッズ』を上映し終わった直後のことです。

ちなみにタランティーノの脚本によると、このときに上映した『ラッキー・キッズ』のフィルムはナチス側から持ってこさせたもので、ショシャナはこの日、『ラッキー・キッズ』を初めて見たんですね。

ゲッベルスに「『ラッキー・キッズ』はどうだった?」と聞かれ、ショシャナが通訳をとおして「リリアン・ハーヴェイが……」と言いかけたところ、ゲッベルスがいきなり声を荒げて「リリアン・ハーヴェイ! 二度とその名前を口にするな!」と怒鳴ります。

リリアン・ハーヴェイ(Lilan Harvey)
イギリス生まれのドイツ人女優・歌手。
『会議は踊る(1931年)』は日本でも大ヒットし、ドイツ国外でも有名になる。
ユダヤ人の友だちがいたため、ゲシュタポの監視下に置かれるが、それにもかかわらず、『ラッキー・キッズ』をはじめ、ゲッベルスが経営するウーファ映画社制作の映画に数多く出演する。
その後ドイツを脱出。1943年、ナチスにドイツ市民権を剥奪される。
(参考資料:wikipedia)

ゲッベルスがリリアン・ハーヴェイに対して怒っているのは、「ゲシュタポに睨まれているのにもかかわらず、いい映画にたくさん出してやったのに、裏切りやがって!」ということなのだと思われます。

『ラッキー・キッズ』の上映でリリアン・ハーヴェイの面をさんざん拝んで、思い出しちゃったんでしょうね。

『ラッキー・キッズ(Lucky Kids)』のミュージカルシーン
めちゃめちゃ楽しいです。

この『ラッキー・キッズ』も、YouTubeで全編アップされていますので、ご興味ある方はぜひ検索してみてください。

UFA(ウーファ社)

ところかわってこちらはイギリス。

エド・フェネク将軍(General Ed Fenech)に呼ばれてやってきたアーチー・ヒコックス中尉(Lieutenant Archie Hicox)
なんとそこにはチャーチル首相の姿もあります。

フェネク将軍はヒコックス中尉に、本題に入る前にまず、映画について質問をします。
「なんで軍の本部で、しかもチャーチル首相の前で、映画の質問?」と不思議がるヒコックス中尉に、フェネク将軍は下のように説明します。

Well, this little escapade of ours requires a knowledge of the German film industry under the Third Reich. Explain to me UFA under Goebbels.
(そうだね、この、われわれがやろうとしているちょっとした悪ふざけなんだけれども、第三帝国プロパガンダ映画の知識が必要なものでね。ひとつ、ゲッベルスが経営しているウーファ社について説明してくれ給え)

UFA(ウーファ社)
1917年に設立されたドイツの映画会社。
もとは第一次世界大戦のためのプロパガンダ映画や公共映画を制作する目的で設立された。
1921年に民営化。このころ制作された映画にフリッツ・ラングの『メトロポリス』(1927年)などがある。
1920年代後半に財政難に陥り、1930年代にナチス傘下となる。
宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルス(Joseph Goebbels)が経営権を握り、数多くのナチスのプロパガンダ映画を制作した。
(参考資料:wikipedia)

さて、このフェネク将軍の質問に対して、ヒコックス中尉はこう答えます。

Goebbels considers the films he’s making to be the beginning of a new era in German cinema. An alternative to what he considers the Jewish-German intellectual cinema of the ’20s, and the Jewish-controlled dogma of Hollywood.
(ゲッベルスは自分がドイツ映画の新たな黄金期の幕開けをもたらす映画を製作している、と考えているようです。それらは20年代に制作されたユダヤ系ドイツ人による文化映画や、ハリウッドのユダヤ人偏重主義などにとってかわるものである、と)

20年代に制作されたユダヤ系ドイツ人による文化映画(the Jewish-German intellectual cinema of the ’20s)
第一次世界大戦終結からナチスの台頭までの期間に勃興した「ヴァイマル文化」の流れで制作された映画のことだと思われる。
F・W・ムルナウのホラー映画『吸血鬼ノスフェラトゥ』、フリッツ・ラング監督の『ドクトル・マブゼ』(1922年)、『メトロポリス』(1927年)などのドイツ表現主義映画がある。
(参考資料:wikipedia)

ハリウッドのユダヤ人偏重主義(the Jewish-controlled dogma of Hollywood)」についてですが、実はアメリカで最初に映画製作をはじめたのはユダヤ系の人たちだったんですね。

以下のリストをご覧になっていただくとわかるかと思いますが、そうそうたる映画創世記の大物がほぼすべてユダヤ系の人たちです。

パラマウントの創始者アドルフ・ズーカー(Adolph Zukor)
ワーナー・ブラザースの創始者ワーナー兄弟(Warner Bros)
フォックス・フィルムの創始者ウィリアム・フォックス(William Fox)
ユニバーサルの創始者カール・レムリ(Carl Laemmle)
コロンビアの創始者ハリー・コーン(Harry Cohn)
MGMの創始者のサミュエル・ゴールドウィン(Samuel Goldwyn)とルイス・B・メイヤー(Louis B. Mayer)
RKOのデビッド・サーノフ(David Sarnoff)

これではまあ、ユダヤ人が嫌いなナチスが「ユダヤ人偏重主義」と言いがかりをつけたくなるのも頷けますね。

ルイス・B・メイヤー(Louis B. Mayer)とデヴィッド・O・セルズニック(David O. Selznick)

ヒコックス中尉が説明を終えた後、チャーチル首相がとつぜん会話に割り込んできて、ゲッベルスについて質問をします。

You say he wants to take on the Jews at their own game. Well, compared to, say, Louis B. Mayer, how’s he doing?
(あいつ [ゲッベルス] がユダヤ人からお株を奪おうとしている、とのことだが、そうだな、ルイス・B・メイヤーなんかと比べて、あいつの手腕はどんな感じだ?)

ルイス・B・メイヤー(Louis B. Mayer)
MGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)の共同創始者のひとり。
ハリウッド初期の黄金期をきずいた大物プロデューサー。
ジュディ・ガーランド、クラーク・ゲーブル、グレタ・ガルボなど、多くのスターを発掘した。
(参考資料:wikipedia)

ちなみにコーエン兄弟の『バートン・フィンク(Barton Fink)』という映画のキャラクター、ジャック・リプニックのモデルのひとりがこのルイス・B・メイヤーだと言われていますね。

チャーチル首相の質問に対し、ヒコックス中尉は「ゲッベルスはなかなかよくやってます。彼が映画制作に乗り出してから、ドイツ映画の観客動員数はうなぎのぼりです」というようなことを言った後、続けてこう言います。

But Louis B. Mayer wouldn’t be Goebbels’ proper opposite number. I believe Goebbels sees himself closer to David O. Selznick.
(しかしゲッベルスに比類する人物としては、ルイス・B・メイヤーは少し違うかと。彼は自分自身をむしろ、デヴィッド・O・セルズニックに近い存在だとみているんじゃないでしょうか)

デヴィッド・O・セルズニック(David O. Selznick)
ハリウッド黄金期の大物プロデューサーのひとり。
映画制作にいちいち口を出してくるプロデュース方針で有名。
監督や俳優たちにうるさがられて、60年代以降は映画制作ができなくなり、不遇の晩年をすごした。
『風と共に去りぬ(Gone with the Wind)』を制作したのは彼の最大の功績。
(参考資料:wikipedia)

この「映画制作にいちいち関与してくる」ところがゲッベルスに似ている、とヒコックス中尉は言いたいのかもしれません。
まあナチスのプロパガンダ映画なので当たり前なんですが。

このあたりの、戦争と映画をうまく絡めてセリフを書いてゆくところにタランティーノのセンスが光ってますね。
前にどこかで誰かが言ってましたが、「タランティーノは戦争映画で『ニュー・シネマ・パラダイス』をやってしまった」という評価が的を得ている気がします。

私は個人的にセルズニック制作の映画では、ヒッチコックの『レベッカ(1940年)』が好きです。
セルズニックが出しゃばったせいか、ちょっとひと味違ったヒッチコック映画になっていますね。
いちいち制作に関与してくるプロデューサーというのも、あまり印象いいものではありませんが、『レベッカ』みたいな美しい傑作を見せられると、ちょっと考えが変わりそうです。

Paris When It Sizzles

作戦会議が終わり、最後にグラスを掲げてヒコックス中尉がひと言つぶやくセリフがこちら。

Paris when it sizzles.

これは1964年に公開されたオードリー・ヘプバーンとウィリアム・ホールデンの映画『パリで一緒に(Paris When It Sizzles)』のタイトルをそのままセリフに使ってるんですね。

sizzle = (お肉を焼くときなどに)ジュージュー美味しそうな音をたてる

つまり直訳すると「美味しそうな音を立てている時のパリ」ということです。

このセリフ、映画の字幕では「パリが楽しみです」と訳されていますが、まあだいたいそんな感じの意味でとらえればいいんじゃないでしょうか。

エミール・ヤニングス(Emil Jannings)

いよいよナチスのプレミア上映会の夜がやってきて、ショシャナの映画館はドイツ人であふれかえります。

そこで、フレデリックがショシャナに、ドイツの俳優、エミール・ヤニングス(Emil Jannings)を紹介するシーンがありますね。

タランティーノの脚本にはこのシーンはないのですが、その代わりト書きの文章にヤニングスが出てきますので、そこの部分を引用します。

The pageantry of the evening is in full swing, as all the
German beautiful people enter the cinema. They mingle in the swastika-covered, Greek-nude-statue-peppered lobby. Nazi
military commanders, high-ranking party officials, and German celebrities (Emil Jannings, Veit Harlan) hobnob and drink Champagne from passing
(宵の宴は、次々に入場してくる正装したドイツ人たちで大盛況。鉤十字のたれ幕やギリシャの裸像などで彩られたロビーは、彼らでごった返している。ナチスの親衛隊、党の高級官僚たち、そしてドイツの有名人たち [エミール・ヤニングス、ファイト・ハーランなど] が歓談し、シャンペーンを飲んでいる)

エミール・ヤニングス(Emil Jannings)
ドイツの俳優。
1927年にハリウッドに進出し、1928年に第1回アカデミー賞の栄えある男優賞受賞に輝く。
トーキー映画の普及により、ドイツ訛りのきつかった彼はハリウッド映画でいい役がもらえず、1929年にドイツに戻る。
その後ナチスの熱烈な支持者になり、ナチスのプロパガンダ映画で活躍した。
戦後は連合国のブラックリストに載り、いっさい映画に出られなくなる。
1950年没。
(参考資料:wikipedia)

ヤニングスが史上初のアカデミー主演男優賞を受賞したサイレント映画『最後の命令(1928年)』

ユダヤ系の人たちが権力を握るハリウッドの、栄えある最初のアカデミー賞男優賞は、ナチスの熱烈支持者になるドイツの俳優さんだったんですね。
なんとも皮肉な事実といえます。

ダニエル・ダリュー(Danielle Darieux)

プレミア上映会の開幕直前。
ショシャナは復讐計画の最終確認に、マルセルに会いに映写室に行きます。
そのときに着飾ったショシャナを見て、マルセルがつぶやくセリフがこちら。

Oh, la la! Danielle Darieux!
(おっ。へえ、ダニエル・ダリューみたい!)

ダニエル・ダリュー(Danielle Darieux)
戦前からつい最近まで活躍していたフランスの女優。
2017年10月に100歳で没するまで、110本以上の映画に出演した。
代表作は『うたかたの恋(1931年)』
1960年からは歌手活動も開始。
近年では、歌と踊りも披露したフランソワ・オゾン監督の傑作『8人の女たち(2002)』が記憶に新しい。
(参考資料:wikipedia)

1938年公開の映画『暁に帰る(Retour à l’aube)』で「わたしの胸に(Dans mon coeur)』を歌うダニエル・ダリュー

あとがきにかえて 〜追悼 ダニエル・ダリュー

この記事を書きながらインターネットでいろいろ調べていて、なにが驚いたって、かのフランスの大女優ダニエル・ダリューさん、つい3ヶ月前にお亡くなりになっていたんですね。

私は『8人の女たち』というフランス映画が大好きで、ご高齢でも元気に女優として活躍されている姿が目に焼き付いていたので、衝撃でした。

ご冥福をお祈りいたします。

* * *

映画『イングロリアス・バスターズ』の背景情報を解説するシリーズ、他2記事はこちらです。よろしければどうぞ。
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