「無駄遣いをする(浪費する)」を英語で?【バリー・リンドン】

シェアする

本日はキューブリックの映画『バリー・リンドン』のセリフで目に止まった「無駄遣いする(浪費する)」を意味する英語表現を解説します。

また、あとがきでは、ボキャブラリーの解説と関連させて、クライマックスの決斗シーンのバリーとブリンドンの心理についもて分析しています。




目次

英文の引用と和訳:ブリンドンが反省の気持ちを呟いているモノローグ

引用するのは母の自殺未遂の報を聞いた直後の、ブリンドンのモノローグ。

If my mother had died, it would’ve been as much my responsibility as if I had poured the strychnine for her myself. For to the everlasting disgrace of my family name, I have, by my cowardice, and by my weakness allowed the Barrys to establish a brutal and ignorant tyranny over our lives which has left my mother a broken woman and to squander and ruin a fine family fortune. My friends profess sympathy, but behind my back, I know I am despised, and quite justifiably so.

もし母が死んだら、その責任の一端は私にもある。私が彼女を毒殺したも同然だ。永遠に家名を貶めるような恥さらしにも、私は弱さゆえの臆病風に吹かれ、バリー家に無遠慮な横暴を許し、我らの生活は脅かされ、母は衰弱し、莫大な財産は浪費され、破産した。友人たちは同情を寄せてくれるが、その陰で私を軽蔑している。それも至極当然のことだ。

「無駄遣いをする(浪費する)」を英語で?

本日メインで取り上げるのはこちらのセリフ。
元はかなり複雑な文章なので、必要な単語が含まれているセンテンスをシンプルに抜き出しました。

I have allowed the Barrys to squander and ruin a fine family fortune.
(私はバリー家に莫大な財産を浪費され、破産させてしまった)

ここに squander という単語が出てきますね。

squander = 浪費する

「浪費する」というと、すぐさま waste という単語が浮かびます。

waste とくらべて squander は、われわれ日本人にはちょっと馴染みない単語ですね。

squander の waste との違いについて

さてそこで、squander は waste とどう違うのか、という疑問。

調べて見たところ、squander は waste とほぼ同じ意味ですが、一般的に広く使われるのは waste のほう。

squander の特徴はざっと3つのポイントがあげられます。

違いその1:考え無しに

まず第1に、squander は同じ「浪費する」でも、「考えなしに」やってしまう、という点がポイントだそうです。

例えば慎重に考えて、ビジネスの先行投資でお金を使ったけれども、運悪くすべてが無駄になってしまった、みたいな場合だと waste を使うのが相応しく、squander は使わないようです。

例えば、大して必要性も考えず、眼に映るものすべてを買い物かごに入れまくり、お金を無駄遣いしてしまった、みたいな場合は squander が使えるようです。

ここで他の映画から用例をひとつ。

映画『ファイト・クラブ』より
I see in Fight Club the strongest and smartest men who’ve ever lived. I see all this potential. And I see it squandered.
(俺は今までファイト・クラブで最高に強くて頭がきれる男たちを見てきた。みんな凄まじい潜在能力があった。そしてそれを生かせず終わっていった)

上は「考え無しに」の概念が強調された用例ですね。

また、本人は自分なりの考えがあってお金を使った場合でも、少なくとも他の人から見て「無駄遣いに見えた」場合、そう言って責めるときに squander は使えます。

今回の『バリー・リンドン』の用例がまさにそれですね。
映画のセリフやナレーションを気をつけて聞いているとわかりますが、バリー本人は自分のしたことが浪費だとは思っておらず、貴族としての当然のたしなみだと考えていたことがわかります。
(このバリーの心理は、この後の決斗シーンの重要な背景になっていると私は考えています。詳しくはあとがきにて)

違いその2:主にお金や財産

第2に、squander は主に財産とかお金に使われ、たまに時間を無駄にする、みたいな場合にも使われます。
一方、waste はもっと広い意味で使えるようです。

しかし前項で挙げた用例をみると、「考え無しに」の概念が強調される場合は、財産(お金)や時間以外でも squander は使われるみたいですね。

違いその3:規模の大きさ

第3に、「お金を浪費する」意味では squander の方が waste より比較的、金額や規模が大きいことで使われることが多い、というネイティブの意見がありました。

映画『キャスト・アウェイ』より
87 hours is an eternity! The cosmos was created in less time! Wars have been fought and nations toppled in 87 hours! Fortunes made and squandered!
(87時間なんて永遠と同じだ! それ以下の時間で宇宙も創造できる。87時間で戦争が起きて一国が滅びる! ひと財産築いて浪費されうる!)

上の用例は社長が社員に「時間は貴重だ」というような意味のことを言っているセリフです。
比喩的な意味で squander という言葉が使われているので、確かに「規模が大きい」という概念が強調されている感じですね。

その他のボキャブラリー

strychnine = ストリキニーネ、ストリキニン
アルカロイドの一種。毒性が強く、中枢神経の麻痺・筋強直などを起こす。

everlasting = 永遠の

disgrace = 不名誉

cowardice = 臆病

profess = 公言する、明言する

justifiably = 正当に、当然に

バリー・リンドンより銃をかまえるブリンドン

銃をかまえるブリンドン(出典:imdb

あとがきにかえて 決斗シーンの2人の心理分析

本日はキューブリックの映画『バリー・リンドン』から、ブリンドンのセリフをとりあげ、「squander(浪費する)」という単語をメインに英語の解説をしてみました。

このシーンの後、この映画のクライマックス、バリーとブリンドンの決斗シーンになります。

決斗でバリーは、一発の銃弾を無駄にしたブリンドンの状況を慮り、自分の番がきたとき、銃口をブリンドンの方へ向けず、わざと弾を外します。
ブリンドンはこれ幸いとばかりに、次に回ってきた自分の番で、見事バリーに一矢報いることに成功します。

なぜ、バリーはブリンドンを撃たず、ブリンドンは構わずバリーを撃ったのか?

私はここに、生まれながらの貴族であったブリンドンと、アイルランドの田舎から出てきて自分の力でのし上がってきたバリーとの違いを感じます。

貴族であることが当たり前である人間と、「俺は貴族なんだ。だから貴族らしく、紳士的であろう」と意識している人間との、心理の違いがここの2人の行動に出ているわけです。

これは2人の金銭感覚にも言えることですね。

つまり、ブリンドンから見て、バリーは浪費(squander)しているように見えていた。
しかしバリーにしてみたら、「自分は貴族なのだから、豪奢な生活をするのは当然だ」と考えていただけなんですね。

これは本日の記事で書いた squander の解説内容に通じるものがあります。

前に書いた『bearとendureの違い』という記事のあとがきで引用しましたが、バリーは不当な行いをしている自覚がまったく無く、ブリンドンは最初から根拠もなく一方的に自分に敵意を抱いているのだと思っていた、というナレーションがありました。

もう一度そのナレーションを引用してみましょう。

Barry believed, and not without some reason, that it had been a declaration of war against him by Bullingdon from the start and that the evil consequences that ensued were entirely of Bullingdon’s creating.
(ブリンドンは初めからバリーに敵意を抱いていたと、そして後に訪れる最悪の結末はすべてブリンドンのせいだったと、バリーは確かな確信をもって信じていた)

一方、ブリンドンにしてみたら、彼は生まれながらの貴族なわけです。
あくまでも彼にとってはリンドン家をバリー家の支配から取り返すのが死命ですから、貴族のプライドもへったくれもないんですね。
第一、憎んでいる者から情けをかけられて引き下がるなど、有り得ないというのが当然の心理でしょう。

そんなふたりの立場と心理の違いを意識しながら、改めてこの最後の決斗シーンを見てみると、また味わい深いものがあります。